ベンチャーに立ちはだかる「人数の壁」〜その真の原因と対策〜 Vol.2

高野慎一のnote
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前回は「人数の壁」に当たったときに起きる症状について書いた。
それが起きる原因について、私程度の勉強では組織論だけでは到達できなかった。そんな時、偶然出会った人類学の著書にヒントを得た。
今回は組織と人類学者の著書を重ねてみたい。

※私は専門家・研究者ではなく、読み齧った知識でこれを書いています。間違いなどありましたらご指摘ください、

目次

  1. 組織論:組織の人数の限界は情報処理能力で決まる
  2. 人類学者R・ダンバー教授の著書との出会い
  3. ダンバー教授の提唱 1 親密度の同心円
  4. ダンバー教授の提唱 2 ダンバー数は150

1. 組織論:組織の人数の限界は情報処理能力で決まる

最近は「スパン・オブ・コントロール」と呼ぶようだが、以前は「マネジメントスパン」と言っていた。(グロービス経営大学院 スパン・オブ・コントロールとは・意味
いずれにしてもその意味は「1人の管理者の下につける人数は5〜7人が適正であり、その人数がもっともパフォーマンスが上がる」という意味合いである。おそらくこれは、数多くの組織を調査研究した結果、帰納的に5〜7人が適正と結論づけたのだろう。

一方、残念ながら出典は忘れてしまったが、「組織の大きさは情報処理能力で決まる」と読んだことがある。前述のスパン・オブ・コントロールもどこのどんな組織でも5〜7人が適正と言っているのではない。例えば、業務が高度にマニュアル化されている職場では、管理者が業務上、情報処理(判断)しなければならない情報は人数の割には少なくなる。だからそうした職場ではもっと多くの人数で組織を作っても良い。一方、管理部門のように同じ部課であっても隣の同僚の担当する仕事が違う場合、人数に比して情報処理(判断)しなければならない情報は多い。だから一般的に管理部門においては1人の管理者につくメンバーの数は比較的少ない。

そうであれば30人になっても、100人になっても、小さな組織を作ってそれぞれに管理者を置けば良い。つまりピラミッド型組織にすれば人数の壁は突破できるはずだ。
だが私が前回書いた、私のメンバーが24人になった時も、実は3チームに分けそれぞれにリーダーを置いていたし、ベンチャーであっても人数が多くなれば課長かマネージャーかリーダーか、名称はともかくチームを小分けにして管理者を置くのは常套手段だ。にもかかわらず、私自身も、ベンチャー企業も組織ががたつき、崩壊してしまうのはなぜだろう。

2. 人類学者R・ダンバー教授の著書との出会い

私の乱読癖の結果、出会ったのがオックスフォード大学認知・進化人類学研究所所長のロビン・ダンバー教授の著書だった。学説を噛み砕いてとてもわかりやすく解説してくれている。(R・ダンバー著「友達の数は何人?―ダンバー数とつながりの進化心理学」)

この著書の中で私が注目した部分が二つある。
ひとつは「親密度の同心円」、もうひとつは「ダンバー数」である。
前者は、人間(人類)の他人との付き合い方は人数の増加によって変わり、親密度に違いが出るというもの、後者は、人間(人類)が他のメンバーそれぞれと安定した関係を維持できる人数の認知的上限が150人だというものである。
当時、経営企画室の責任者として組織作りをしていた私にとって、とても示唆に富んだ説だった。

3. ダンバー教授の提唱 1 親密度の同心円

同著の中でダンバー教授は極めて興味深い示唆をしている。
「ひとりの人間が交友関係を持てるのは150人前後だが、付き合い方のパターンを細かく見ると、親密度の同心円が描けることがわかる。」
不思議なことにこの同心円は3〜5人を起点としておよそ3倍の人数になる。教授はこの著書の中で、それがなぜ3の倍数になるのか、その原因はわからないとしている。

ダンバー教授の説を元に、私なりの例をあげながら説明して見る。

3〜5人
ダンバー教授は「もっとも親しい親友」を例にあげ、同心円の中心には3〜5人くらいがいると言う。私が思うに「もっとも親しい親友」とは、価値観や性格、感情、行動様式に至るまでもっとも深く理解し合い、信頼し合い、会っていなくても分かり合える親密度ではないだろうか。
経験的には他の関係においてもこの3〜5人が考えられる。もっとも近しい家族(たとえ仲が悪くても互いに理解し合っている)。学校でいつも「ツルんでいる」グループ。ベンチャーで言えば苦労をともにする創業者グループ。
お互いに、本音を言っても受け入れてくれると思える。相手の感情の動きや行動が予測でき、コミュニケーションは阿吽の呼吸、アイコンタクトで通じ合える。

5〜15人
その外側に10人くらいの交友関係があり、これで合計15人。たまに会ってもお互いのある程度の理解を前提に話ができる。学校で言えば、親友と言うほどではないが親しい友だちのグループ。家族関係で言えば近い親戚。ベンチャーでは「初期メンバー」と言われる人たち。私がツクルバにジョインした時が社員数15人だったので、彼らとの関係を思い浮かべると頷ける。
本音を言うにはその前にもう一歩深く信頼関係を築く必要はあるが、相手の感情や行動はある程度予測できる。時には予想外の行動や感情の発露があり、驚くと同時に相手についての理解が深まる。

15〜50人
その外側に35人。合計50人くらいになる同心円。中には話したことがない人も出てくるが、顔と名前くらいは知っていて、久しぶりに会っても挨拶はできる。学校で言えばクラスメイト。文化祭でクラスで何かやろうとすると様々な価値観や考え方が露見して、簡単にはまとまらない。
本音を言い合うことはまずない。相手の感情や行動の予測はかなり難しく、阿吽の呼吸やアイコンタクトではコミュニケーションが成り立たず、言語に頼る他ない。
この15〜50人の間に「30人の壁」がある。それまでは相互理解と相互信頼に基づいて、阿吽の呼吸でできていたことができなくなる。リーダーとメンバーとの距離は「学級委員の意思と一般生徒の行動」くらいになると考えられる。

50〜150人
さらにその外側に100人加わって、合計150人。
学校で言えば1学年。顔と名前が一致する限界であり一致しない人が出現し始める。話したことがない人も多数いる。話したことがなければ人間関係は築けない。それが相互に複雑に絡み合う。学校で会っても、挨拶したり、しなかったり。相互理解、相互信頼に基づく協力関係はほとんど期待できない。
ここまでくると、本音を言ったらどんな反応が返ってくるか予測がつかず、本音を隠すレベルだ。この同心円の一番外側にいる人(クラスや部活で一緒だったことのない人)の感情や行動にどんな特徴があるのかを掴むことは普通できないだろう。それでも学校の同学年における人間関係には利害関係はあまりない。だが、企業組織においては社内でも利害が対立する。利害調整は現場のメンバー同士ではほぼ不可能になり、部門間の対立が始まる。この50〜150人の間に「100人の壁」がある。

これらは自分の体験とも一致する。

ダンバー教授の「親密度の同心円」で考えると、「10人の壁」「30人の壁」「100人の壁」の根拠は、「人数による人間(人類)の他者との付き合い方、親密度の違い」が原因なのではないだろうか。

4. ダンバー教授の提唱 2 ダンバー数は150人

ダンバー教授は、人間(人類)の社会集団の人数の上限は100人から230人の間で、その平均は148人と提唱しており、一般に150人をダンバー数と呼んでいる。

ダンバー教授のアプローチは簡単に言うとこうだ。

①1頭の霊長類が把捉できる社会集団(群れ)のメンバー数とそれぞれの種の大脳新皮質の容量との間には相関関係があり、脳の容量によって群れのメンバー数の上限が決まる。(筆者注:把捉=しっかりつかむこと。捉えること。大辞林)
②38種類の霊長類の調査研究から導き出されたデータをホモ・サピエンス(つまり我々人類)の大脳新皮質の容量に当てはめると、人間の社会集団の人数の上限は100人から230人の間で、その平均は148人と推計される。

つまり、安定した関係を保てる群れの大きさはその霊長類の脳の大きさで決まる。だから人間(人類)が他のメンバーそれぞれと安定した関係を維持できる人数の上限は約150人だというのだ。

ダンバー教授は計算だけでなく、実際の人間社会についてもその歴史を調べ、実態としても100〜230人であると結論づけている。
・新石器時代の農村の規模の推定値は150人
・フッター派の定住場所が分割する時の人数は150人
・学術上の一つの専門分野における学者の数の上限は200人
・古代ローマと16世紀以降から現代まで、正規軍の基本的な単位は150人
etc. 
どうやら人間(人類)は古来、ダンバー数や「100人の壁」を経験的に知っていたようだ。

想像してみてほしい。前項の150人の同心円。およそ学校の1学年の人数。
親密度の同心円の一番外側にいる(ex.自分が同じクラスになったことも同じ部活だったこともない)Aさん、Bさんがそれぞれどんな価値観、考え方で、感情や行動にはどんな特徴があるかを掴むことはできるだろうか。ましてAさんとBさんの関係性まで把握することは難しいのではないか。この1対1の関係の組み合わせは総数150人だと22,350通り。みなさんの脳はこれを「把捉」できるだろうか。

前回のnoteに書いた「100人の壁」の症状を見てほしい。
「顔と名前が一致しなくなった」
「知らない人が社内を歩いている」
つまり集団の他のメンバーをお互いに把捉できなくなっているのだ。その結果、安定した関係が維持できなくなり、ギスギス、ガタガタし始める。相互理解が不能になって相互信頼が低下し、部門間に軋轢が生まれ、パフォーマンスが下がる。長い付き合いの初期メンバー同士は理解し合っていてその結束は固いが、後から入ってきたメンバーはそれが遅ければ遅いほど「群れ」に入れない。「100人の壁」の真の原因は、私たちがホモ・サピエンス(人類)だからなのだ。
これなら30年前のコスモスイニシアに起きたのと同じことが今のツクルバに起きることも、業種・職種にかかわらず成長するベンチャーならどこにでも起きることも説明できる。

人数が多くなると組織がガタつく原因は、コミュニケーションが悪くなるからではあるが、そのまた原因は安定した関係を維持するために必要な情報処理を、我々人間(人類)の脳の大きさでは賄えないからではないだろうか。
それを乗り越えるために人間(人類)は「組織」を編み出した。
しかし、組織を作っただけでは解決しないという事例は世に余りある。

次回は組織を作っても組織崩壊に至る原因について話したい。

(次回に続く)

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